私事ですが、出身は工学部。メーカーの研究所に勤務していましたが、結婚と同時に退職。その後、子供を抱えて無鉄砲に離婚しました。なんの資格も実績もない主婦が無責任な話ですが、とにかく生活をしていかなければなりません。
たまたま、こんな私をパートで拾ってくださったのが税理士事務所の先生でした。それが税理士を目指すきっかけです。
その後、その先生の事務所は辞して、他の会計事務所で正社員として雇用されました。仕事をしながら、受験もしながら、親の介護もあり、というのはいいわけですが、資格取得まで7年もかかりました。
勤務時代のことです。巡回監査の電車の中で、向かいに小さい子供とお母さんが座っていました。楽しそうにおしゃべりするその姿に、「私はなんてバカなことをしているのだろう。子供に寂しい思いをさせてまで、通すに値する我があるのだろうか…。」と涙が止まりませんでした。でも、ここで後戻りはできません。
受験が長期化する中、支えてくれる家族にも疲れが見えてきます。「今年落ちたらもう税理士は諦めよう。」そう思って見上げた12月の空の青さを今でも忘れることはできません。
そして、その年に官報に名前を載せることができました。
それから、何の人脈もなく、見通しもなく、向こう見ずに開業をしました。
その時に心に誓ったことがあります。
メーカーを退職したときに源泉徴収票を総務の方からいただきました。
「これをもって確定申告に行くと税金が戻るからね。」当時の私にはなんだかさっぱりわかりません。いわれた通り、確定申告の相談会場に行きました。
私はスーツを着た年配の男性の前に座らされ、おもむろに源泉徴収票を取り出しました。出された申告書の用紙は、ただの枠の羅列にしか見えません。ぼんやりしていると、「ここ!ここにこの数字を書く!次はここ!」と、指示されるまま、申告書に数字を書きました。結局、税金は戻ったようなのですが、情けないような悲しいような思いで、とぼとぼと帰りました。
今にして思えば、それが私が人生で初めて出会った税理士という人間だったのです。
あんな思いを私は誰一人としてさせない!
その思いは現在も変わりませんし、それは事務所理念として生きています。
わかりやすい説明とは、単にわかりやすいのでなく、そのお客様おひとり、おひとりのニーズに寄り添った徹底したものでなければなりません。
そして、10年以上、宝塚のこの地で、たくさんの素晴らしいお客様とともに喜びもつらさも分かち合い、多くの困難を乗り越えてきました。
事業計画策定と金融機関対策は、まさにお客様とともに苦楽を共にすることで得られたノウハウです。
リーマンショックで転げ落ちるように業績が悪くなるお客様の会社を助けようと、事業計画をひたすら作り続け、銀行とリスケジュールを交渉し、社長の意識の変革と成長をサポートし、まさにお客様との二人三脚で頑張りました。おかげさまで倒産もなく、現在、ほとんどの会社が正常先へと転換をしていただいております。
また、様々なご相談に乗らせていただく中で、とにかくお客様の問題を解決したいと高度税務や希少な特例の適用などにも対応し、常に精進をしてまいりました。
ある士業の先生から特殊な案件が持ち込まれました。その会社の関与をしている税理士さんからそんなことまで付き合えない、と投げ出されてしまったということで、私のところにご相談にみえられました。私も初めての経験の事例でしたが、1年ほどかかり何とか無事終了できました。
そのお仕事が終わって、そのご紹介くださった先生から、「私も仕事柄たくさんの税理士を知っている。だが、資格を取ると、すわ営業だ!とばかりに勉強を怠る人は多い。その中であなたは精進を続けていた。だから、この案件はあなたにお願いするしかないと思った。」と言っていただきました。
何よりもうれしい言葉でした。
自慢話ですいません。ただ、私もスタッフも職人気質で、ちょっと派手さがありません。こういう仕事ぶりの事務所なんだとわかっていただきたくて書かせていただきました。
個人事業を立ち上げ、従業員が増え、法人化し、豊かなリタイアを迎える。
そんな当たり前の願いを打ち砕くかのように押し寄せる様々な問題。税務調査、資金繰りの悩み、経営の行き詰まり、後継者問題、多額の相続税・・・
中小企業経営者のささやかな願いを守り、その思いをさらに大きいものにする夢を支え続けたい。
お客様の成長は私たちの喜びです。
いえ、もしかしたら、その姿に私たちが癒されているのかもしれません。
このような事務所だからこそ提供できる高い提案力と温かいハートで、御社の成長を必ずサポートします。
どうか、皆様と素晴らしいご縁が開かれますように!
長文に最後までお付き合いいただき、有難うございます。